未開の未来 第4回 “Beyond 2020”~東京五輪はどこへ向かう通過儀礼か? 9/21開催レポート

2016.11.24

2016年7月、東京駅から皇居方面に続く行幸通り地下通路に「丸の内・触れる地球ミュージアム」がオープンした。10月末までの約3カ月、「触れる地球」を5台設置した体験ミュージアム、そして全長220m にもおよぶ通路空間に「海・森・生物多様性」、「防災・減災・レジリエンス」、「未来技術」等をテーマにした演出がなされ、子ども向けから大人向けまで様々なイベントが開催されている。そのイベントの一つ「未開の未来」は、全9回にわたり、本ミュージアムプロデューサーの竹村が毎回多彩なゲストを招き、まだ見ぬ未来を語り合うトークセッションだ。

 

第4回のゲストは、元文部科学副大臣で、東京大学公共政策大学院の教授である鈴木寛氏。世界的に高齢化が進む中、ある意味その最先端を行く日本で行われる次のオリンピックは、近代の「若者・健常者」中心のスポーツ観、健康観を更新できるだろうか。さらに、地球環境が危機に瀕し、度重なる自然災害にさらされる現代、東京はレジリエンスを備えた都市に脱皮できるだろうか。

スポーツ・教育政策の最前線で精力的に活動を続ける鈴木氏と、2020年を超えた東京が、日本が、地球がどうあるべきか、縦横に語り合った。

 

 

未来の希望を示す、メディアとしてのオリンピック

竹村 「今日のテーマはBeyond 2020。2020年は東京オリンピックの開催年です。

オリンピックは単なるスポーツイベントではありません。時代のテーマを映す鏡であり、都市、国家、文明を再設計する絶好の機会です。単なる『インバウンドを増やすきっかけ』に終わるわけにはいかない。

オリンピックという大きなメディアを通じて地球の現状と向き合いながら、日本の未来、同時に地球の未来に大きなモデルを提供していく、そういう機会になりうるんです。

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気候変動、環境問題、人口構造など、今、私たちが向き合わなければいけない問題は明確になってきています。

高齢化は日本だけの問題ではありません。韓国やシンガポールでも同様の傾向で推移しています。特に13億5000万人以上の人口を抱える中国は、70年代初頭からの一人っ子政策の影響もあって大変なインパクトが予想されるのです。

そんな今、超高齢化最先端の日本で行われるオリンピックは、『工業化社会に適応しうる強壮な青年の育成』という近代オリンピック誕生当初のミッションを超えて、歳を取っても障害があっても長くクオリティ・オブ・ライフの維持をめざすような、新しいスポーツ観・健康観を創出できるのではないでしょうか。

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気候変動や地球環境危機に直面し、巨大災害が多発する時代、沿岸の低地に数百万の人口を抱えた脆弱な東京が、レジリエンス(変動耐性)を備えた都市モデルを提示できるかどうかも問われています。

2020年以降の日本について、人口減少や高齢化、いろんなことで無居住地域が増えるとか、悲観的な予想がされていますが、やり方次第で大きなチャンスにもなる。数々の問題に前向きなソリューションを示すことができたら、2020年を超えた未来に貢献するオリンピックになる可能性があると思うんです。

ではこの後は、元文科省副大臣で、東京オリンピック招致委員会で評議委員を務めるなど様々な形でスポーツムーブメントに携わり、広く未来を見据えておられる鈴木寛先生をお迎えして、対談形式で進めていきたいと思います。」

 

 

オリンピックは東京で「再発明」されなければならない

竹村 「地球の状況を考えると、次のオリンピックで問われるのは、もはや一国の国威発揚のためのオリンピックではないということは常識です。それなのに、焦点が『日本すごい』『クールジャパン』に狭まりすぎではないでしょうか。」

 

鈴木 「先のリオ大会の閉会式で安倍総理がスーパーマリオを演じたシーンは、世界の35億人に届きました。これほどの規模の発信メディアはオリンピック以外にないと改めて感じました。

ただ大事なのは、そのマリオが実際に4年後なにをするか。相当な難問です。たくさんの人たちが五感、六感をフル活用して熟考しないといけないのですが、おっしゃるとおり思考停止に陥っていると感じます。

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オリンピック招致活動で僕らは『2度目のオリンピック』を強調しました。

新興国の国際社会へのデビューという位置付けの大会と、過去に開催経験のある都市が開催する大会と、交互にしたほうがいいんじゃないかという提案です。

近代オリンピックを始めて約100年が経ち、これからも20世紀型のオリンピック、パラリンピックを続けられるとはIOC(国際オリンピック委員会)も考えてはいません。新しいオリンピックムーブメントの再構築を一緒に考えるパートナーとなることが、東京招致の条件だったのです。」

 

竹村 「つまりオリンピックの開催地として東京が選ばれたのは、『IOCはオリンピックを再発明しないといけない段階にきているが、どうやればいいかわからないから、東京に力を貸して欲しい』ということですね。」

 

鈴木 「そう、そのため2020年に照準を合わせていろんなことをやっています。

たとえば文化庁の京都移転。地方創生・活性化が目的であるかのように報じられていますが、そうではない大きな意味があります。東京の霞が関は日本の経済大国としての歴史を継続すべく機能する一方、もうひとつの物語、つまり文化を以って新しい日本の歴史を始めるのが京都なんです。

ちょっとテーマから逸れますが、今年5月、10年ぶりにG7教育大臣会合が再開されました。

これまで日本は、大量生産・大量消費・大量廃棄の社会を担う人材を育成するための『知識、技能偏重教育』、つまりマニュアルを覚えてそれを正確高速に再現する力を育成する教育を発達させ、それに韓国、中国、シンガポールなども追随してきました。その教育観を卒業すべく、日本と、OECD(経済協力開発機構)の教育部のアドバイザーとG7と同時に議論するのが目的です。

ここでは、これからの人間に必要な知について、1から再定義することも始まっています。」

 

竹村 「クーベルタンが古代から途切れていたオリンピックを復活させた時代は工業社会が始まっていて、何十万台、何百万の工業製品を同じ規格で大量生産するには均質な労働者も大量生産しなければいけなかった。その手段が学校教育であり、体育というものであった。それをおっしゃったわけですね。」

 

鈴木 「工場労働は人間の時間を完全にコントロールするもので、学校はその予行演習の場です。8時から2時、3時まで、みんな同じテキストをコツコツとこなすことで、労働者を作る装置だったわけです。

このことに日本は大成功して、世界一の工業立国になりました。今は中国が同じことをしていますが、この先にはなにもないわけです。

この状況を変えるのはとてつもない力仕事ですが、まずはそのために思考開始させるトリガーを引かないと。」

 

竹村 「20世紀のオリンピックでは、スポーツは人間の規格大量生産の媒体であり、国威発揚の装置でした。それを脱するというのはつまり、スポーツのミッションが全く新しい方向に行くということですね。」

 

鈴木 「IOCの議論では、スポーツを言語と捉えています。たとえ外国語がしゃべれなくても、ボールやラケットがあれば、そこからコミュニケーションが始まります。

日本を含む先進国の問題は、経済の貧困ではなく関係性の貧困です。スポーツは、その問題を克服して70億人がコミュニケーションを始めるためのソーシャルインフラであり言語なんです。」

 

竹村 「これから高齢化社会になるに伴い、多様な障害を多様な度合いで持っている人たちが社会のマジョリティになります。以前のように『規格大量生産方式』だったり記録を競うのと違う、多様な体の育て方が求められるはずです。そのためのスポーツを再発明・ローンチする場と考えれば、パラリンピックも多様な体のあり方を許容しながら人間の可能性を広げていく、大変なメディアになるわけです。」

 

鈴木 「僕らは2009年10月、2016年のオリンピック開催地を決定するIOC総会でリオに大敗してから、戦略を全部組み直しました。それまではスポーツのコアバリューを国威発揚型に位置付けていましたが、なんのためのスポーツなのかを改めて考え、コンセプトワークを丁寧にやり直しました。

オリンピックもパラリンピックも大事ですが、その周辺で開催するさまざまなエキシビジョンも、日本が主導して実験的・先進的なものにしたい。IOCとIPCが将来のオリンピックムーブメントに取り入れていけるようなものにしたいんです。

実績があります。1998年の長野オリンピックに際して、長野市が一校一国運動というものを始めました。市内の小中学校がそれぞれ応援する国や地域を決め、その文化を学習したり実際に交流するというものです。多くはそのとき限りのイベントで終わってしまいましたが、未だに続いている学校もあります。この活動が評価され、以後の大会にも引き継がれています。

このように、日本がまずモデル事業に取り組み、IOCに提案していく、そういうことを次のオリンピックでもやりたいと思います。」

 

竹村 「スポーツイベントだけでなく、障害を持った方やアスリートなど、多様な人が多様な形で交流する、そういうイメージですね。」

 

鈴木 「そうです。文科省が事務局で、僕が会長を務めている『ユニバーサル未来社会推進協議会』では、東京オリンピック・パラリンピックに合わせて、障害者とロボットと健常者が今までと違う形で共生する未来をめざし、人工知能(AI)やロボットなどの最先端技術に触れ、その体験を持ち帰ってもらう場をつくるプロジェクトを進めています。

国立競技場のある渋谷でも、全く新しいコンセプトにもとづくユニバーサルデザインの街づくりを推進しようという計画が進んでいます。」

 

竹村 「オリンピック関連の議論はいまだにスタジアム中心主義、競技中心主義ですが、そこからの転換が必要ではないかと思うんです。つまり中心に競技があってそれをインフラやボランティアが支えていくのではなく、日常の空間そのものがイベントになり、その触媒として競技がある、というような。」

 

鈴木 「まったくその通りです。

海外からの観客は、100m走が目当てだとしたら競技自体を見る時間は10秒弱。残りの時間はぜひいろいろなものを見て欲しいですね。」

 

竹村 「たとえばつい登りたくなるような階段やスロープなど、体を動かしたくなるような街を設計することもできるでしょう。一方で、階段を登れない人もいるという多様性も許容する。東京をそんな街として再発明して、そこからオリンピックやスポーツそのものを再発明していく。それがBeyond 2020がめざすべきものだと思うんです。」

 

鈴木 「近代のガバナンス(統治)とは、政府と市場で社会資源を集めて分配することでした。つまり『これをすると飴がもらえる』『これをしないと鞭で罰せられる』という外的インセンティブ(動機付け)によるガバナンスです。それをゼロにはできないとしても、相対的な比率を少しずつ減らして、人々が自発的になにかしたくなるようなコミュニケーションの形をデザインできないかと考えています。たとえば『罰金を科せられるからポイ捨てしない』ではなく、『ポイ捨てはかっこ悪いからやらない』と意識を転換させるような。

飴と鞭によるガバナンスって、常に監視が必要だからものすごくコストがかかり、持続が難しい。今、日本だけでなく世界中の政府がおかしくなっている原因がそこにあるんですね。」

 

竹村 「食料の3分の1を捨てていることもかっこ悪いことのひとつとして、捨てなくなるような町のあり方、生活のあり方を考えたいですね。

最近、防災食や保存食で優れたものがありますが、日本の伝統的な乾物や発酵食品こそスーパー保存食です。なにしろ元の素材より栄養価が高い。食材の秘められた力を引き出しているんです。そうした伝統食を新しい技術とミックスアップして、日本食のコアバリューを世界に広げて食料問題に貢献できるのでは。各国からやってくるアスリートや観客に食事を提供するオリンピックが、そのきっかけになりうるんじゃないでしょうか。」

 

鈴木 「たまたま僕が副大臣のとき、和食の世界遺産申請に携わったんですが、実は評価ポイントはそこなんです。それなのに日本のメディアは『寿司がクール』みたいな取り上げ方しかしない。目に見えるわかりやすいストーリーだけが強調されて、見えない価値がないがしろにされ失われつつあるのは非常にもったいないと思います。」

 

竹村 「2012年のロンドンオリンピックにヒントがあります。パラリンピアンをネオヒューマン(新しい人間)と捉えてフィーチャーしたのも先見的でしたが、街のありようも変えたのが新しかった。ロンドンでは、2012年に向けて2012個の市民農園をつくったんです。今ではさらに増えて2500ぐらいあるようで、都市にいながら地産地消の新鮮な食材を入手できるようになったり、農薬によって絶滅しつつあるミツバチのサンクチュアリになったりしています。緑化にもつながりますし、非常に先進的な試みでした。」

 

鈴木 「2回目の大会を開催したロンドンでいい萌芽がありました。東京がそれを引き継いで、さらに世界中の叡智を集結してなにを提示できるかが問われています。ロンドンや東京、パリ、ニューヨークなどの都市から卒・近代が起こっていく歴史をつくっていきたいと思います。」

 

 

クリエイティブで前向きな、都市と地方の新しい関係を築く

竹村 「バランスを欠いた開発による急激な都市化は、農村で生きられなくなる状況を生み、さらなる一極集中を招いてしまっています。これをどう解消していくかは大きな課題です。

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たとえば交通インフラが未整備で輸送や移動が困難だった地域でも、輸送用ドローンや自動運転が実用化すれば、それほど不自由は感じなくなるでしょう。人口が減ると無居住地域が増えるなどネガティブなことばかり言われていますが、一人あたりのスペース倍増が可能になるということでもあります。国土をどう再活用するかも考えていかないと。」

 

鈴木 「今後は自然災害対策として『疎開地』が必要になります。

私は今52ですが、私の世代はみんな田舎がありました。でも今の学生は、都市への集中が始まって2世代3世代を経ているので、田舎とのつながりがなくなっているんですよね。なにかあったら安心して避難できる場所がない。だからもう一度、みんなが田舎を持つようにしたい。

私の研究室や教え子たちが、消滅可能性全国一と言われている群馬県の南牧村など、地方にいくつか拠点を設け、都市と農村漁村の新しい繋がり方を探る実験を始めています。」

 

竹村 「参覲交代というと、強制的に江戸と地元を往復させられていたイメージがあるけど、あれによって江戸と地方の文化、物品の交流が促進された面はあるんですよね。経済の活性化にも寄与しましたし。今もそういうことが起こればいい。都会と各地の里山、里海とが交流する習慣をつくっておけば、震災などによって避難せざるを得なくなったときに、地域の活性化にもつながるようなポジティブな疎開ができるんじゃないでしょうか。」

 

鈴木 「そう。否応なく危機はやってくるでしょう。そのときになって慌てても遅い。今から日本各地にヒューマンネットワークを張り巡らせて、クリエイティブな疎開ができるような準備をしておくべきなんです。『定住人口』ではなく、『関係人口』を考えることが必要でしょう。

僕は岩手県釜石市の地方創生アドバイザーを務めていますが、定住人口を増やす計画だったら協力しません、と明言しています。なぜなら、全国の1700市町村が目標とする定住人口を合算すると、2025年に日本の総人口が2億人になっちゃう。絶対にありえない数字です。

近代の軍事力や経済力は、そこに従事する人口が多いほど強くなった。そして人口集中にメリットがあったからこそ都市化が進んだんですが、今、過剰な競争や過密ゆえの孤立など、集中のデメリットが目立つようになりました。これからは、人口概念の再定義、再構築が必要です。」

 

 

人間は、難問に対峙することで進化してきた

竹村 「20世紀初頭、近代オリンピック誕生から大きく変わるのが、人間の位置だと思うんです。AIにより仕事が奪われるなどと言われていますが、単純労働だけでなく知的労働についても人間よりAIが得意になったとき、かえって人間の居場所がクローズアップされるのではないでしょうか。

また、かつては欠損を補うのが目的だったパラリンピアンの装具が、人間の可能性を増幅する部分もある。そのときに、人間性祝福の祭典であったオリンピックはどのようなものになるでしょう。」

 

鈴木 「答えがある問題はAIが得意です。そうすると人間の仕事は、解がない問題に取り組むことになるでしょう。解けない問題と対峙する知恵、勇気、感性や悟性は、人間の領分です。

生命現象や自然現象って理不尽ですよね。『なんで善良な市民にこんな仕打ちをするのか』というような、そういったものをどう受け止めるか、どう向き合うのか。

日本は、神様には荒御魂(あらみたま/天災や疫病など人に災いを為すような神の行い)と和御霊(にぎみたま/日光や雨といった自然のめぐみなど、人に幸いをもたらす神の行い)の両面があると考えます。たとえば台風には、海をかき混ぜて異常な温度上昇を抑えたり、栄養分を拡散させる効果もある。そんな多元的なものの見方、考え方を日本人はしてきたわけです。

近代社会は『GDPを増加させたらOK。そうでないものはダメ』という単一思考でしたが、これからは、八百万(やおよろず)の価値観で正解のない問題に向き合う社会である必要がある。また、難問に大して果敢に向き合っていける若者たちを育成していかなければ。」

 

竹村 「人類は難問に向き合うことでクリエイティブに進化してきたんですよね。たとえば人間が直立歩行して大きな脳が支えられるようになったのは700〜500万年前ですが、大脳化が進んだのは250万年間、氷期と間氷期の大変な気候変動が始まった頃です。

また、1万年前、気候の寒冷化・乾燥化による食料不足に対処するために、たくさん実をつけるイネ科の植物を育種し、栽培農耕が始まりました。

さらにその5000年後、寒の戻りで水が手に入らなくなり、大河の流域でないと農業もできないため、チグリス・ユーフラテスなどに文明が生まれました。

2500年ほど前、ブッダや老子、プラトンが現れた精神革命の頃も気候変動だった。人間の変革は、気候変動へのクリエイティブな適応なんです。

考えてみれば、今は人類の進化のチャンスなのかもしれない。そこにAIなど新しいテクノロジーが重なってきている気もします。」

 

鈴木 「僕はわくわくしているんです。いい時代にうまれてきたなと。若い人にとっては、世界中の仲間と一緒に人類史をクリエイションできるという大チャンス。しかもそれを、2020年、地球上の50億人が見ているオリンピックからスタートできる。そういう歴史的チャンスを与えられていると思うんです。」

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竹村 「すばらしいご意見です。

人類史の再発明、更新であると同時に、人間の本質を更新しつつあるのかもしれません。それはAIやIoTとのサイボーグ的な共生進化だけでなく、高齢化という現象によってもたらされるのではないでしょうか。

人類とほかの動物との最大の違いは、子どもである時期と老いの時期の長さです。犬や猫は1歳たらずで性成熟を迎えて子どもを産めるようになり、産んだ後はそんなに生きながらえないわけです。野生なら食い殺されることもある。

でも人間は性成熟を迎えるまで10数年かかります。こんなに長い未熟期があるから、脳が文化的にどんな方向にも進化できるんです。

高齢化がさらに進む今後、長い老年期にクオリティ・オブ・ライフを保てるようになることが、人間の再発明だと思うんです。再生医学や、認知症予防・治療の発達により、それも夢ではなくなってきました。」

 

鈴木 「おっしゃる通りです。近代は、力仕事ができる頑健人々によるマッチョな競争社会でした。だけど今後は高齢化が進み、そうしたことから否応なく卒業せざるを得ない人が増えていきます。

これからめざすのは競争社会ではなく、弱さを抱えた人たちによる共創社会。そこで老いと死という最大の難問とどう向き合うっていくかにより、クリエイティビティが生まれると思います。」

 

竹村 「ブッダも心の再発明だったんですよね。あの頃も気候変動に見舞われ、しかも国家が難しい段階を迎えていました。そんな中で『老いや死は苦しみである』から、『老いや死を苦しみと捉えている心そのものが自ら苦しみを生み出している』と、心のOSのリセットが行われた。今も、次のリセットが求められている段階だと思います。」

 

鈴木 「欧米が急速に変わってきているのを感じます。

今年のG7教育大臣会合の倉敷宣言に、教育の目的のひとつとして「生命の尊重」を入れたんです。2年前、別のUNESCOの会議では、フランスの反対にあった言葉です。歴史的経緯から『自由と民主主義は命を賭してでも実現しなければいけない』という価値が重視される国ですから。」

 

竹村 「それはそれでOSの革命でしたが。」

 

鈴木 「はい。ですが現在、フランスはホームグロウン・テロリズムに悩まされています。移民や難民の2世3世としてフランスで生まれ、フランスの国民教育を完全に受けてきた若者が、イスラム教徒を含む『同胞』に対してテロを起こしてしまった。

そして同様のことがヨーロッパ各国で起こっています。このことが、フランスを含むヨーロッパの人々のメンタリティに大きな変容を起こしつつあり、そういう意味で日本と共に深く考えていきたいと言っている。そこにきちっと答えなきゃいけないと思いますね。」

 

 

老いに価値を置く、新しい「文化・社会的OS」が求められている

竹村 「テロなどがあって、今はイスラムを中心に宗教が悪であるかのように見られがちですが、本来、宗教って世俗とは違う生き方を許容する空間でもあったんですよね。出家や隠居など、世俗と異なる生き方があった。最近話題の若冲や伊能忠敬も、隠居してからいい仕事をしています。定年を過ぎても働き続ける自由がある一方で、経済活動を超えたところにとっておきの老いの時期がある。そんな、社会的、文化的OSをもう一度設計するフェーズにある気がするんです。

2000年ほど前にインドで成立したマヌ法典には、働いて稼ぐ段階を終わったら林に住み、その後は諸国を放浪する時期である、と規定されています。老いの時期に価値を置き、『とっておきの老い』を文化的にデザインするアプリケーションがあったんですね。」

 

鈴木 「そこをちゃんとプロデュースしたいですね。林住期のお年寄りと若者や子供を共生させるのはものすごく意味がある。それ先ほどお話しした南牧村に行っている学生は、そこで暮らしている中でお年寄りにかわいがってもらい、都会の働き盛りでは絶対に伝えられないものを教えてもらっています。

幼児教育も大事です。発展途上の子どもにとって、親世代はスピードが速すぎるんです。それよりお年寄りとのほうが波長が合うので、いい循環が生まれるんです。

宗教も重要だと思います。今、ヨーロッパのカソリックの国の人ですら教会に行かなくなっています。そういう中で、いわゆる宗教とは別のなにかを作り出さなきゃいけない感じもします。」

 

竹村 「その通りですね。今私たちは、2500〜2000年前に心のOSがリセットされ、宗教というOSが発明された時期と同じような場所に立っています。ここで求められている人間の再発明、人間が生きる空間としての都市の再発明とはどういうものでしょうか。

今日の議論は、環境や人口などさまざまな制約に直面する中で、日本、東京、地球がどうリセットしていくか。また、そのための装置となるオリンピックの再発明や、近代からの卒業が求められている、というところから始まりました。そして新たな人間の可能性、人間を再発明するための文化社会OSとはどんなものか、と展開して、その中で宗教の可能性が浮かび上がってきました。

『未開の未来』というタイトルには「希望的な未来、希望的観測といわれるけど、未来のコアバリュー、可能性の中心は未だ開かれていない」という意味を込めています。今日はその種に少し触れられたので、これを育てていくような議論を続けたいと思います。ありがとうございました。」

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