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4/22 日経アジア感染症会議2016に講師として竹村真一出演

〈第3回 日経アジア感染症会議2016〉 新たな官民協力による日本のイニシアチブ、日経アジア感染症会議が開催されます。 分科会にて、「国際都市とマスギャザリングにおける感染症リスクと公衆衛生の重要性」について討議します。 どうぞご期待ください。 [開催日]2016.4.22(金) 9:00-19:10 4.23(土) 8:15-12:30 [会 場]六本木アカデミーヒルズ [主 催]日本経済新聞社、日経BP社 分科会 4.22(金) 17:30-18:30 〈座長〉 小谷 真生子 氏 (キャスター) 〈討議者〉 岩﨑 惠美子氏 (健康予防政策機構 代表・医師) 岡部 信彦氏 (川崎市健康安全研究所 所長) 更家 悠介氏 (サラヤ代表取締役社長) 二瓶 亮氏 (LIXIL 取締役専務執行役員 R&D本部本部長) 前田 秀雄氏 (東京都医学総合研究所 特別研究員) 竹村 真一 (京都造形芸術大学教授 人類学・地球環境論) 詳細はこちらをご覧ください。    


主宰 竹村真一より 熊本地震に寄せて

熊本地震に寄せて;竹村真一   Earth Literacy Program/「触れる地球ミュージアム」を代表して、今回の熊本地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。被災地の皆様の安全と一日も早い復興を祈念いたします。 もとより「触れる地球」という地球の体調のモニタリング・システムを設計する者として、また『国連防災白書』の情報デザインにも携わる者として、私共も自身の仕事にあらためて襟を正して精進してまいりたいと存じます。  しかし同時に私自身のいまの正直な思いを言えば、「いつまで同じことをくり返すのか?」「311から5年、あの経験は何だったのか?」という痛切な悔恨の念を禁じ得ません。 阪神そして東日本の大震災を経て、私たちはすでに「日本のどこでも激甚災害が起こりうる」という新たなコモンセンスを共有したはずです。しかも自分が生きている間に“ほぼ確実に”千年に1度の大震災・津波災害が起こることを予期している世代として、災害に見舞われてから救助や支援を考えるのでなく、初めから「被災を前提にした」社会設計を行うチャンスを与えられていたはずです。  評論家のように、この国のあり方をただ批判するつもりはありません。むしろ明確な「代案」があるからこそ、そしてそれを実現していれば今回の九州の災害も予防的に減災し得たはずだと思うからこそ、残念で仕方がないのです。 これはまた、そんな日本という国のリデザインを311後の政府の「復興構想会議」の委員として提案し、それを結局は実現できなかった者としての自責の念でもあります。 でも同時にいま、こうして熊本・大分の被災地の状況を見て、「5年遅れたけれど、今からでも遅くはない、すぐにでも当時のアイデアを実現すべき」と感じたのも確かです。 そこで“311後・未然形の復興計画”として、当時発表した論文(東日本大震災の発災直後に執筆し、Voice誌に掲載の後、竹村真一編著『地球大学講義録』最終章として収録)を以下、「再提案」させて頂きます。  復興構想会議の委員に指名されたのは、拙著『地球の目線』(PHP新書;08年刊)で災害や変動に脆弱な日本の問題点と、その解決の方向性(原発問題も含め)を提言していたからでした。 本論文ではそれを踏まえて、さらに地域の「コミュニティ・セキュリティ・センター構想」など、311後のソーシャルデザインを具体的な施策として提案。その日本新生のモデルが新たな「地球基準」=”新BOP;Base of the Planet”−−−Bottom of the PyramidとしてのBOPでなく−−−となり得ることを示唆したものでした。  今こそ実現すべき構想として、未来への「祈り」を込めて再送させていただきます。長文にて恐縮ですが、ポイントを下線で強調しておりますので、そこだけでもお目通し願えれば幸いです。 —————(以下、2011年執筆時のまま掲載) <本稿は、“311後・未然形の復興計画”として、「東日本大震災」直後の2011年3月に論壇誌「Voice」にて発表し、「地球大学講義録」(竹村真一編著)最終章として収録されたものです。>   新しい東北、新しい日本 ――3.11東日本大震災後の「コミュニティ・セキュリティ」デザイン 2011年3月21日;春分 竹村真一(京都造形芸術大学教授・ELP代表)  東日本大震災の発生から十日余り。まだ余震と原発事故が予断を許さぬ状況とはいえ、重点は災害救助と緊急支援から、数十万の被災者の生活再建、インフラ再建のフェイズへと移行しつつある。 だが、これまでの震災と根本的に異なる点は、それが「復旧」ではあり得ないということ、つまり「もとの旧い体制の再建」ではなく、あらゆる面での社会の根本的なリセット(刷新)、いわば“新しい日本”の再設計が不可欠ということだ。 たとえば、高さ十メートルの防潮堤を整備していたにもかかわらず津波被害を防げなかった沿岸低地に、同じような街を再建すべきだろうか?また大きな災害のたびに寸断される電力網や水道――その修復作業が急務であることは当然としても、そもそもこうした大規模インフラに百パーセント依存した、脆弱な現代社会のあり方そのものを根本から見直すべきではないのか?(この問題は数ヶ月にわたって一二〇万戸以上が断水した阪神大震災でも問題になった。) 逆にこれを機に、立地選択や居住域の段階的なシフトも含め、沿岸低地のリスクを最大限考慮した新たな都市設計のパラダイムを構築できれば、津波だけでなく今後、気候変動により増大が予想される洪水や海面上昇のリスクにも適応力の高い都市を日本に造っていくことができる。これは沿岸低地に人口集中地帯を抱える日本のほとんどの都市に共通した課題であり、特に東京や名古屋、大阪、福岡などで先行的に取り組まれるべき最大のリスク・マネジメント課題といえる。 また、各家庭や地域レベルで最低限の自家発電と自立水源(井戸や雨水貯留)のシステムを整備し、災害に脆弱な大規模インフラに依存しない形で「いのちの安全保障」を担保しうる仕組みが構築できれば、これは災害に対してのみならず、今後の石油高騰や水資源争奪の時代にも耐性のある、ロバストでレジリエントな日本社会を構築することになる(−−それは当然、地球全体にとってのセキュリティ・モデルともなるだろう)。 幸い自家発電や地域・家庭レベルでのエネルギー自給については、ここ十年の小規模分散型の自然エネルギーの技術的成熟と急速な普及によって、まったく新たな展望が描ける段階にある。すでに太陽光や風力は「代替エネルギー」でなく「基幹エネルギー」の一つとして位置づけられ、ドイツは二〇三〇年には電力の四五%を自然エネルギーで賄う、さらに二〇五〇年にはEU全体の電力需要も一〇〇%自然エネルギーで十分賄いうるという見通しを立てている。 また蓄電機能を備えた電気自動車(EV)やプラグインハイブリッド車(PHV)の実用化で、クルマが住宅や地域の「エネルギー器官」として機能する時代が始まりつつある。家庭のソーラーパネルで発電した電気でクルマを走らせるのみならず、自動車のバッテリーに貯めた電気を住宅に逆流させて、太陽光発電できない夜間でも太陽電池由来の電気で住まいの電力をある程度まかなうことも可能になりつつある。いわばクルマや蓄電池が自然エネルギーの不安定さを補うバッファーとなるわけであり、「陽が照っている時だけしか発電できない」「天候に左右される不安定なエネルギー源」という自然エネルギーのイメージは、すでに過去のものとなりつつある。 このような「ライフラインの自立分散化」――水とエネルギーの最低限の自給体制を、この災害を機に日本全国で急速に整備する流れを作れれば、水道や送電が止まっても数日間は持ちこたえられる、あるいは幹線道路が寸断されていても近隣の地域間で水や電気を融通しあえるような、柔らかな「いのちの安全保障」のシステムが出来上がる。そして、それは平常時でも石油価格の乱高下に左右されない社会のデザインにつながり、一つの災害で関東・東北の広い地域から首都圏まで長期にわたり壊滅的被害を受けるような「原発」のリスクからも卒業する準備ができる。 沿岸都市のリスクやライフラインの問題、原発事故まで含め、今回の東日本大震災が露わにしたのは、災害の怖さよりもむしろ現代社会がもつ潜在的な「脆弱さ」であり、問題は我々の内部にある。原発事故が「人災」というなら、そもそも沿岸都市や中央集権型の大規模ライフラインの脆弱性に正面から向き合ってこなかったというのも広い意味での「人災」ではないか。 その意味で、今回の震災は日本社会、いや人類全体にとって、貴重な学習と自己変革(刷新)のチャンスであり、防災・減災とともに今後の気候変動や資源制約への適応力も備えた“変動に強い”都市と国家を再構築する好機として、是非ともこの機会を生かすべきだと思う。 そこで、これを「コミュニティ・セキュリティ」の構築というコンセプトで、国民的なデザイン課題として位置づけてみてはどうだろうか?「震災からの復興」という狭い枠組みではなく、これを機に災害にも気候変動にも石油高騰にも耐性のある、新たな日本をデザインする官民一体の「未来への投資」として、二一世紀型「コミュニティ・セキュリティ国家戦略」を打ち出すのだ。 そして、そうした全国レベルで推進する国家再設計のムーブメントの最先端地域として東北を位置づける。二〇世紀型の脆弱な社会インフラの「復旧」でなく、未来的なコンセプトでの「新しい東北」を、家族や家を失った数十万の被災した方々にプレゼントして、東北を日本の(いや世界の)最先端モデル地域としてデザインしよう。 その柱として、先述の「沿岸都市の再設計」や「ライフラインの自立」、さらには災害・非常時にもロバストな携帯・インターネット環境の整備(いわば「情報の微小循環」のデザイン)と並び、何より喫緊の課題として、地域や都心部での「コミュニティ・セキュリティ・センター(CSC)」の集中整備ということをここで提案しておきたい。  もとより自立型のライフライン整備や都市設計のパラダイムシフトは、数ヶ月や数年のタイムスパンで行いうるものではない。 仮に“二〇二〇年までに新しい日本を創る”――そうしたビジョンで十年間の集中的な「未来への投資」を行い、日本の抜本的な「体質改善」を図るとした場合、その移行期の十年間に、地域レベルの社会の再設計をナビゲートし、またその間の防災・減災拠点ともなり得るような「コミュニティ・セキュリティ・センター(CSC)」を取り急ぎ整備してはどうか? 今後、仮に同じような大規模災害が起こった場合、電気や水道が止まっても、道路が寸断されて救援がしばらく来なくても、最低限のサバイバルが保証される「いのちの安全保障」の拠点を整備していくのだ。そうした拠点の有力候補としてまず挙げられるのが、どの地域にもすでに存在する大規模ショッピングセンターだ。 今回の東北の被災地でも、千人規模のキャパシティをもつ避難場所として、公民館や学校といった公的な施設以上に、イオンなどのショッピングセンターが大きな役割を果たしていた。もともと食糧や飲料水、生活用品を大量に扱うこうした商業施設は、非常時のサバイバル拠点としてアドバンテージを持つ。こうしたショッピングセンターを、あらためて地域の公的な「コミュニティ・セキュリティ拠点」として制度的に位置づけなおし、非常用の食糧備蓄や毛布、防寒具、水の要らないトイレなどのサバイバルキットを用意しておく。さらに水道や電気など大規模インフラに依存せずに、災害時に最低限のサバイバル機能を担保する、いわば「インフラフリー」の態勢を整備するのだ。 飲み水の五〇倍から百倍の量が必要な生活用水は、水道管に依存しない「自立水源」としての井戸の再生や雨水貯留を基本に考える。雨水利用の可能性はこれまで過小評価されてきたが、たとえば墨田区などの先駆的な自治体では、すでに蔵前国技館やスカイツリーなどの大規模施設でいずれも数千トン級の雨水貯留タンクを整備しており、非常時に区民の数週間分の生活用水を賄いうる態勢を整えている。こうしたシステムが全国規模で普及していけば、「天の蛇口」から十分に水の補給がある日本では、大規模水道インフラへの過剰依存による社会負担と災害リスクをかなりの程度低減することができるはずだ。これは非常時の自立水源確保とともに洪水調整のシステムともなり、集中豪雨と渇水の両極端の傾向が顕著になると予想される今後の気候変動レジームに適応力のある社会インフラとなる。 自立電源をもつ「地域エネルギー安全保障拠点」としても、こうした地域のコミュニティ・セキュリティ・センターが大きな役割を果たすだろう。実際、埼玉県越谷市のイオン・ショッピングセンターは日本最大級の太陽光発電装置を擁し、EV利用の社会実験拠点ともなっている。また今回の震災後、東京都心の六本木ヒルズは自立電源で巨大ビルのエネルギーセキュリティを担保するとともに、東京電力に売電して都心の電力不足を補っている。日本にすでに存在する工場や大規模施設の自立電源の発電容量は総計6000万kWを超え、原発54基の総発電容量5000万kWよりも多い。こうした分散型自立電源を増やし、電力の柔軟な相互融通のネットワーク体制を整備していくことが、日本社会のエネルギーセキュリティ政策として今後重要になる。 またコミュニティ・セキュリティという意味で、一番の基盤になるのは何と言っても「住まい」(住宅)だ。戦後の日本は経済高度成長の反面、居住環境の「質」を犠牲にしてきたことは否めない。だが、これからの時代、何より個々の住宅が「いのちの安全保障」の基盤装置とならねばならない。電気がこなくても、水道が止まっても、最低限の水や電気は自分の家で自立的に担保できる態勢がいまは作れるわけで、そうした小さな電気や天水のピースをジグソーパズルでつなげていき、地域レベルのコミュニティ・セキュリティをボトムアップで創出してゆく。 現段階では、個々の住宅やビルの自立電源だけで現代社会のエネルギー需要を賄いきれないのは当然だが、そうした自立分散型のエネルギー社会に移行する時間的・空間的なミディエーター役として地域のCSCの役割がある。それにより1)個々の住宅やビルの最低限の自立・自給、2)ある程度の規模・容量をもつCSC:コミュニティ・セキュリティ拠点整備による地域レベルの自立・融通、3)従来型の大規模インフラ(送電網・上下水道)という三つの階層にリスクとコストを分散した、多層的なライフライン安全保障システムを構築できるだろう。 地域毎の風土的・文化的・人口構造的な多様性も、そうした地域レベルの自立的な拠点整備を基軸とした「日本再設計」の過程であらためて可視化され、生かされることになるはずだ。風力発電や地熱発電のポテンシャルが高い地域もあれば、人口が密集して生ゴミやバイオマス発電による地域熱供給のような仕組みに向いている地域もあるだろう。CSCがそうした地域のエネルギーリテラシーの開発・教育拠点となることで、地域の隠れた「宝」が発見され、地域への愛着や理解も深まるに違いない。地域のエネルギー構造のリデザインは、貴重な地域教育と“ふるさと発見”の回路ともなる。 また逆説的だが、これと相補的にもう一つ重要なのは、そもそも電気やエネルギーに過剰に依存しないシステムをデザインすることだ。電力やエネルギーの安定供給を前提にした考え方そのものが、ある意味で二〇世紀パラダイムともいえる。その意味で、上下水道インフラに頼らない井戸や雨水利用と同様、モビリティや交通システムについても二〇世紀型の「自動車中心社会」の発想を脱構築する必要があるが、そこで基本になるのが自転車だ。 地形が急峻で坂道の多い日本では電気アシスト自転車を基本にしても良いかと思うが(電気がなければ完全「人力」で何とかなるというのがロバストなシステムだ)、その延長にいわば“EV自転車”ともいうべき自動車と自転車の中間形態を新たなコミュニティ・ヴィークルとして重点的に開発してはどうか?それにより現今の“ママチャリ”に象徴される無防備な自転車でなく、北欧などで整備されつつある子供や買い物荷物も載せるフードつき荷台を備えた安全な自転車の発展形がデザインされ得るだろうし、自転車専用レーンの整備もあわせて集中的に行うことで、現在の地方都市や農山村の「クルマがなければ、ガソリンがなければ難民状態」という極めて脆弱なソーシャルデザインを短時日でリセットすることも可能になる。 また、程なく人口の三分の一が高齢者となる超高齢社会・日本のソフトランディングを考えるなら、車椅子や小型EVでドア・ツー・ドアで(住宅から買い物まで)移動できるようなモビリティ環境を整備することも近未来の重要課題だ。低炭素化のかけ声のなかで「脱クルマ化」が世界のトレンドだが、自転車や公共交通を基本にするというのは、あくまで自分の足で移動できることが前提の若年層中心の二〇世紀社会モデルであり、世界的な超高齢化(グローバルエイジング)の趨勢のなかでは、逆にクルマやそれに類する移動補助ツールへの依存度が高まることも不可避的に予想される。 高齢者が社会のマジョリティとなる社会とは、すなわち「誰もが何らかの障害を持ちつつも、健康にQOLと最低限の自立性を保ちつつ何十年も生きていく」ことが前提となる社会だ。そうした文脈では、(たとえば近年のパラリンピックで見るような)ハイテク車椅子の進化が、単に「障害者支援」という狭い枠組みから解放されて、より一般的な社会の移動支援技術として普遍化されてよいのではないか?少なくとも「自分の足で歩くか、自動車か、介助を必要とする車椅子か」といった二〇世紀型のモビリティ・パラダイム全体をリセットする必要があり、そうした社会全体の「モーダルシフト」のデザイン拠点としても地域のCSCが大きな役割を果たすはずだ。 いずれにしても“ポスト東日本大震災”の今後の数年間を「治療」-「予防」-「体質改善」という医療モデルになぞらえれば、被災地支援・復興の「治療」活動は、二度と同じ災害(人災)を起こさないという「予防」と、根本的な社会の「体質改善」を同時に踏まえたものでなくてはならない。CSCはそうした地域レベルの防災・減災拠点として「予防」機能を担うと同時に、日本全体の「体質改善」をナビゲートする社会デザイン拠点として整備されることになる。 一方、大都市の都心部の「コミュニティ・セキュリティ」についても早急なリデザインが必要だ。 今回の震災でも、東京ではこれだけ被害が軽微であったにもかかわらず、予想以上の帰宅困難者が出た。そこで駅ビルや都心の大きなビル群を、都心部のCSC(コミュニティ・セキュリティ・センター)として制度的に位置づけ、整備していくのはどうか。そのオフィスビルのテナントのみならず、その辺りで困っている帰宅困難者が誰でもそこに身を寄せることができ、一晩や二晩帰れなくてもなんとかなる、そういう「災害に強い都市」に私たちのまちをデザインし直していかなければならない。大都市に人口のほとんどが集中し、その多くが長距離通勤者であるという日本の固有の社会条件を考えれば、これも実は大きな「人災」につながりかねない日本の待ったなしのリスクマネジメント課題であることは言うまでもない。 実はすでにこうした方向を先取りしている所もある。六本木ヒルズ(森ビル)は災害時の食糧や非常用トイレの備蓄とともに、自立電源や自立水源として井戸も整備し、帰宅困難者を収容しうる態勢をかねてから整備している。丸ビルに代表される丸の内地区も、一九二三年の関東大震災以来ずっと防災意識が高い。またJR東日本は、子育て支援の画期的なイノベーションとして「駅保育園」の整備を進めているが、こうした方向を非常時の避難所としての機能も併せ持つかたちで拡張整備していけば、都心部の「駅」が単なる交通・商業拠点という役割をこえて、新たな日本の「ライフライン拠点」として新たな社会的意味を持つようになる。 これは私鉄や地下鉄まであわせて極めて網羅的で多層的な鉄道網を整備した日本だからこそ有効なソーシャルモデルだが、逆に言えばこうしたコミュニティ・セキュリティ機能、ライフライン安全保障のデザインまで含めたソーシャルウエアのパッケージとして「日本の鉄道・駅システム」を世界に普及していくことが、新たな地球貢献ビジネスの基軸ともなりうるはずだ。 さらに「モビリティ・セキュリティ」という面では、こうした都心のCSCターミナルビルに常日頃から貸自転車のような簡易なシステムが整えられていれば、災害時の電車やクルマが使えないときでも多元的な移動手段を担保することができる。また、パーク・アンド・ライド(郊外の居住地から自動車で来て、都心に入る前のターミナルに駐車して、あとは公共交通や自転車で都心部を移動するシステム)は、低炭素化・温暖化対策としてのみならず、防災的な観点からも急速な整備が求められる。それが整っていれば、被災時にも都内を徒歩や自転車でターミナル駅まで行き、そこから先の郊外まではクルマで帰宅という可能性も生まれてくる。 「非常時に非常口を探すことは不可能で、非常時に必要な体制をいかに日常のなかで体験しているかが重要だ」というのが防災の基本だが、その意味でも多元的なモビリティとそれへのアクセスを日常化しておく仕組みが大切なのだ。 そして都心部の防災の観点から根本的に重要なのは、何より都市のあり方の根本的なリセットだろう。 東京や大阪の大部分には、火災の延焼のリスクが高く、救急車も消防車も入れないような街並みがまだ多く残されていて、災害に対して非常に脆弱な都市になっている。そこで思い起こされるのが、防災性も備えた大胆な区画整理による広い街路や緑道、水辺空間の整備で知られる、百年近く前の後藤新平の都市計画だ(青山絵画館前の銀杏並木や原宿同潤会アパートなどはその遺産)。この大胆な都市設計思想は結局未完に終わったが、「後藤の都市計画が完遂されていたら、第二次大戦の空襲による東京の戦災もだいぶ軽微で済んでいたのではないか」と昭和天皇が述懐されたというエピソードもあるくらい、東京は百年前からの宿題をやり残しているともいえる。 この東日本大震災を契機に、この百年来の宿題を今こそやるべきではないか?大量の帰宅困難者を出した今回の震災は、こうしたいわば“予行演習”を通じて「東京のコミュニティ・セキュリティ」という国家的な課題に正面からとり組む、最後のチャンスを与えられたと考えるべきかもしれない。  ところで今回の震災を通じてあらためて痛感した重要なポイントは、「いのちの安全保障」の課題が、非常時・平常時を問わず、また先進国・途上国あるいは都市・田舎といった区別を超えた、普遍的で地球的なものだということだ。ここで論じてきたような「コミュニティ・セキュリティ」の課題は、すなわち「グローバル・セキュリティ」のデザイン課題でもある。  たとえば、水道や電気が止まっても大丈夫な自立水源・自家発電などの「インフラフリー」なインフラ整備は、非常時のみならず平常時でも、水道や電力などの大規模インフラへの依存度を減らし、リスクとともに水道・電気代などのコストを低減し(それは大規模インフラ維持の社会コストの低減にもつながる)、お金がなくても最低限のライフラインは担保されるという社会的安全保障のデザインでもある。 日本の完備されたライフラインは日本の戦後復興の大きなレガシーであり、今もそのインフラ維持・管理に向けられた多くの人々の見えざる努力には敬意を表したい。だが、そうしたインフラに支えられた「水と安全はタダ」という神話は、あくまで安い石油と比較的安定した気候に支えられた二〇世紀後半の一過性のものにすぎない。気候変動に伴う洪水リスクの増大など、「環境」面での安全神話とサステナビリティが脅かされつつあると同時に、「経済」面での安全とサステナビリティもいまや再考を余儀なくされている。 何より石油や原発に依存する生活は、災害やテロのリスク以前に、経済コストの面でも多大なリスクを伴う「お金がかかる」システムだ。たとえば今、日本は石油など化石燃料を輸入するために年間二〇数兆円を使っている(一九九八年にわずか五兆円だった化石燃料コストは、わずか十年後の二〇〇八年には二三兆円に膨らんだ)。さらにピークオイルに伴う近未来の石油高騰を考慮すれば、かつての安い石油に依存した電力・水道システム、自動車交通から現代農業まで、私たちの社会はコスト的にとても見合わない、経済的にもサステナブルとはいえないリスキーなシステムになりつつある。この十年の「資源レジームシフト」からこれ以上眼をそむけている時間的猶予は最早ない。 原発も(事故やテロのリスク以外に)核廃棄物や廃用原発の処理費用など「未来世代の負担」を算入すれば膨大なコストになることは明白だ。これまで原発の“安価な発電コスト”として発表されてきた数字にはこうした未来のコストは算入されておらず、震災後の「未来の選択」の前提条件として、この発電コストの見直しは不可欠となるだろう。 逆に太陽エネルギーや地熱などの自然エネルギーは、初期投資以外は基本的に無料で、枯渇する心配も天災やテロによる大規模災害の不安もない、基本的に「安全でタダ」のシステムだ。中東に偏在する資源をめぐって戦争や資源外交に明け暮れる必要もなく、地場の資源(太陽光・風力・地熱など地域特性に応じた多様な選択肢がある)の「地産地消」を基本に、資源価格に翻弄されることもない。 何も石油や原発を即座に放棄すべし!などと極論を言いいたいわけではない。ただ、そうした「お金のかかる」大規模インフラへの依存度を段階的に減らし、災害にも強く、お金のかからない社会システムへの段階的移行を一〇年、二〇年のスパンで行う――それが少子高齢化で経済成長がスローダウンする今後の日本のサステナビリティを担保する「逆成長戦略」でもあるのではないか?ということだ。 ちなみに今回の震災に伴う経済損失は、原発事故によるエネルギー供給不足や放射能汚染による長期的な損失を抜きにしても、すでに一五兆円を超えると試算されている。数パーセントの経済成長など消し飛んでしまう規模での損失が常態化しかねない趨勢のなかで、都市文明の脆弱性をリセットし、災害や資源制約への社会的耐性を構築することが、どれほど費用対効果の高い「未来への投資」かということだ。  また日本の「コミュニティ・セキュリティ」のシステムは、途上国も含めた世界の「人間安全保障」にも大きく貢献する。 たとえば、太陽電池で発電した電気を一日分貯留して途上国の子供たちの勉学などに活用する「ソーラーランタン」や安価な雨水利用のシステムなど、いわゆる“BOP”=Base of Pyramid(世界の人口の底辺にある貧困層)向けの「世界を救う」技術・デザインが最近注目を集めている。だが、こうした技術の多くは、石油高騰・水資源枯渇・気候変動といった今後の世界共通のトレンドのなかで、途上国・先進国の区別を超えて世界中で必要となってくるものだ。今回の東北被災地でもソーラーランタンが重宝されているように、もとより災害時にはそれらは世界共通の「いのちの安全保障」のサバイバルキットとして、21世紀の「災害文化」を担う一つの地球のデファクトスタンダードとなるだろうが、そうしたものが必要になるのは災害時だけでも、途上国だけでもない。 ライフラインの脆弱さ、エネルギー不足など、3.11東日本大震災で私たちの文明デザインの根幹が問われたいま、先進国のモノづくりやデザインも、あるいは企業活動も、電気や水があたりまえに提供され、クルマや電車で移動できることを前提に商品やサービスを考えているだけでは最早済まない。 また「貧困大国アメリカ」といわれるように、サブプライム以降の経済不況のなかで、先進国の中にもお金のかかるインフラにアクセスできない数百万から数千万の人口が存在するのも事実だ。(そして、そうした現実が日本の近未来においても無縁ではないことは、先述の石油高騰などのトレンドを踏まえれば明らかだろう。) だから、“BOP”をBase of the Pyramidでなく”Base of the Planet“、つまりこの「地球」の新たなライフデザインと安全保障のBaseと捉えなおす思考が、いま必要なのではないか? 今回の震災を機に、日本がそうしたBase of Planetのソーシャルデザイン――都市文明の脆弱性を克服し、大規模インフラに依存しない、お金がなくても最低限の「いのちの安全保障」は担保されるような、自立型の生活インフラの最先端モデルになれば、それは世界への贈り物となり、日本社会は「人間の安全保障」の先進圏として、文明の新たな「地球標準」を世界に提示することになる。 「コミュニティ・セキュリティ」の国家戦略は、日本の再生シナリオであると同時に、そうした地球のなかでの新たな日本の位置を設計する試みでもある。 二年ほど前に出した「地球の目線」(PHP新書)で私は次のように書いた。 「国中にガードレールをつくり、日常のあらゆる場面で“ご注意願います”と警告するお国柄なのに、国民の根源的な安全や自立を保障するガードレールがデザインされていないというのは実に皮肉な話だ。」――エネルギーや食糧自給率の低さに基づく潜在的なリスク、また気候変動や地震・洪水などの災害に対する脆弱さを指摘したものだった。 だが、そもそも「いのちの安全保障」を国に頼る時代そのものが終わりつつあるのだ。ここに記したような明確な国家ビジョン、国家戦略は必要だが、それを担保する仕組みやインフラは、それぞれの地域コミュニティ、家庭、そして自分(より大きな全体のなかの「分」としての個々人)を基本としてボトムアップに創生してゆく。 日本にはボトムアップの真の民主主義がないといわれる。だが、今回の震災で生まれた「節電」のウェーブは、こうした自立的な「コミュニティ・セキュリティ」の可能性を予兆するものではなかったか?なにしろ社会の電力需要を自分たちでコントロールできるということを証明したのだ。節電で余った電力を被災地に送る人々が、これだけの人口で存在する日本――これは自立的でボトムアップの「コミュニティ・セキュリティ」のシステムを樹立する担い手として十分な可能性を備えている証拠である。 ボトムアップの「情報の微小循環」という意味でいえば、今回も阪神大震災の時のインターネットと同じように、ツイッターなどが、(北アフリカでの市民革命と時期的にシンクロしつつ)防災・減災のシステムとしても活用された。「どこどこで誰が困っています。近くにいる方は助けてあげて」といった書き込みがツイッターでやりとりされたり、個々の避難所のニーズをマッチングするための携帯サイトが若者たちによってボランタリーに立ち上がったりした。 すでにウェザーニュース社は、気象庁のレーダーでも把捉・予測できない局所的なゲリラ豪雨を予報するのに、市民からの携帯投稿を何十万通レベルで集めて、実際の「予報」と「減災」に成功している。豪雨や洪水のリアルタイムのハザードマップが、市民の間でボトムアップに生成されるような時代が始まっている。 明治維新もボトムアップの「日本のリセット」だった。戦後の復興も、六〇年安保であらためて選びとった「平和憲法」とそれに基づく半世紀の平和も、ボトムアップな社会創生の結果だった。日本には西欧近代的な「市民」はいないかもしれないが、社会を共感的なネットワークで変革していく人々は確かに存在する。 「新しい日本」を目指す確かな国家ビジョンと、「節電で被災地に電気を送りながら」そうした未来に投資する一億の人々のボランタリーな思いの連携が、新しい東北、新しい日本を創生していく。 最後に「希望の地」としての東北の未来について。 デジタル地球儀「触れる地球」で見ていると、日本の東北地方は地球のギフトが集まる交差点のような場所だとわかる。 赤道太平洋に蓄熱された膨大な太陽エネルギーを運んでくる黒潮と、世界で最も豊かな海であるベーリング海、オホーツク海の恵みを日本にもたらす親潮(魚を育む栄養豊かな海流ゆえに「親潮」と呼ばれる)が出会う三陸沖。津軽海峡・大間のマグロも、アメリカ西海岸からはるばる太平洋を横断して、この豊かな東北の太平洋岸にやってくることが、地球儀上に示されるGPS(衛星追尾)の航跡から明確にわかる。 また梅雨前線に沿った雲がインド洋や東シナ海から東北地方にかけて伸び、そうした海域の水を「淡水化」して、アジアモンスーンがはるばる五千キロも「空輸」して、大量の天水として日本に降らせてくれている。水が豊かな日本、東北はこうした地球スケールの水循環の賜物なのだ。また鹿島灘の洋上風力発電のポテンシャルは、東京首都圏の電力需要をそれだけで賄いうるほど巨大なものだという調査結果もある。 もとより地震にしても火山噴火にしても、「災い」と「恵み」は表裏一体であり、地震国であるゆえの土壌の豊かさや森林再生の早さといった恩恵を、私たちは知らず知らず受けている。(植物はCO2と水だけでは育たない。火山活動からもたらされる窒素やリンなどの微量元素も不可欠なのだ。)国土の七割を森林で覆われる「森の国」の風景は、ある面で四つのプレートの境界線上にある火山国ゆえの豊かさでもある。また地球大のミキサーである台風も、深海まで海水をかき混ぜることで、冷たく栄養豊かな深層水を海表面にもたらし、植物プランクトンの増殖を促して「海をよみがえらせる」。日本の海の豊かさは、台風銀座という日本の地勢的な偶然による面も確実にある。 日本のなかの東北地方という視野の枠を取っ払って、こうした「地球のなかの東北」という視界の広がりのなかで、その地球誌的な豊かさを踏まえた形で、新たな東北の未来像を描く時だ。そんな新しい東北に先導される形で、日本全体も新しくなっていく。 安直な「復旧」によって、再び津波と原発事故に怯える東北に戻すのではなく、そんな新しい東北を、親をなくした子供たちにプレゼントしたい。それこそ、どんな復興よりも大事な被災地への「支援」であり、日本全体にとっての震災からの再生ではないだろうか。       (東日本大震災から十日、2011年3月21日春分:竹村 真一 記) ◇◇◇  (後記) 311直後の「復興構想会議」では、津波や水害のリスクの高い沿岸低地都市の新たな建築方式として「浮体式」「高床式」なども提案。 また身体の免疫細胞のように、どこかで激甚災害があるとすぐに船で被災地に輸送できる「コンテナ式」(廃コンテナ再利用)の簡易医療設備や仮設住居などもモデルとして描き、国家的な整備案件として政府に提案していました。(水害・津波も液状化による地震災害も、地盤が脆弱でかつ人口が集中している沿岸都市のリスクが突出して高いため、港湾に備蓄できて海路ですぐに輸送できるコンテナ方式が好適なのです。) こうしたアイデアが、いまだほとんど実現できていないことは内心忸怩たる思いです。 冒頭に「311後、復興構想会議の委員として政府に提案しながら実現できなかった」と書きました。 実現できなかった理由は、一言でいえば政府や行政が津波被害や原発事故で緊急対応に追われるなか「まだまだ未来を考える段階ではない」(ある政治家の発言)というものでした。二度と同じ過ちをくり返さないよう、予防減災の体制を一刻も早く構築すべき時に、残念ながら「未来志向のことを語ると、そんな余裕があるなら原発や被災地の救済を優先しろと言われる」と国のトップが守勢に回っていたわけです。 しかし逆にいえば、今こそ「未来を語る」べき時ということでもあります。 当時はなかった選択肢として、昨今のドローンなども、緊急物資の輸送や救助ロボット派遣など、道路が寸断されがちな地震や津波・水害にも強い「社会の免疫細胞」となるでしょう。CSCはこうした広域支援・流通のハブともなり得るはずです。 またイオンなどのショッピングセンターは、311当時からボランタリーに「防災・避難拠点」として自らを開放し、多くの被災者にシェルターを提供していましたが、それはあくまで通常営業の可能性を犠牲にした形での社会奉仕であり、それを補償する法制度のスキームがない限り、こうした敬服に値する活動は決して持続可能なものとはなり得ません。 防災拠点としてのポテンシャルを持つ事業所・施設が「コミュニティ・セキュリティ・センター」として機能しうるような社会的なサポート体制、公的な法制整備が急務であることを申し添えておきたいと思います。 今回の九州に始まる中央構造線上の列島の胎動が、“311後”を再起動する契機となることを祈念いたします。  2016年4月18日 竹村真一        


4/10 竹村真一ナビゲート J-WAVEアーストーク放送 ゲストにロボットクリエイター 高橋智隆氏 

〈4/10  J-WAVE「アーストーク」第7回のご案内〉 竹村真一ナビゲートのラジオ番組 J-WAVE「アーストーク」第7回目の放送は、4月10日(日)22時からとなります。ゲストにロボットクリエイターの高橋 智隆氏をお迎えし、「アトムと友だちになる方法」や日本の未来について語り合います。どうぞご期待ください。これまでの放送(バックナンバー)はこちらをご覧ください。 【第7回アーストーク放送予定】 [期 日]2016.4.10(日)22:00~ [ゲスト]高橋智隆氏(ロボットクリエイター) [ナビゲータ]竹村 真一 [ラジオ放送局]J-WAVE FM81.3MHz  


「3x3Lab Future」グランドオープン!「触れる地球」新展示ブース

「3x3Lab Future」(大手門タワーJXビル 1F)が、4月1日にグランドオープンしました。こちらに「触れる地球」の新しい展示ブースも開設されています。どうぞご覧ください。「触れる地球」のお問い合わせは infoelp.or.jpへお願いいたします。(ご送信の際には を”@”に置き換えてください)  


触れる地球ミュージアム
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